陰キャオタクという生き方
陰キャオタクという生き方
人間には2種類あるという。
陽キャ
なんかイケてる。社交的。常にわかりやすくハキハキ話す。運動部経験がある。営業職向き。恋愛経験が多い。ポジティブな時間が多い。
陰キャ
野暮ったい。内向的。なんかややこしい話が好き。文化部・帰宅部が多い。エンジニアになりがち。恋愛経験が少ない。結構死にたい気分になる。
よくあるステレオタイプで、このように語られる。
この分類名を考えた人間は、たいそう性格がよろしいんでしょうね。
なんていうか、いわゆる自他ともに認める陽キャの、無邪気に分類したり、そもそも最初から意識しなかったりする人生はいかにも楽しそうである。
こういう文化の違いを避けるべく、サブカルチャーや学問に逃げ込んだところで、またその中で二分化される。
オタクの中でも、イケメンで押しが強いとか社交性があるとかでヒエラルキーが生まれる。
ああいやだ、世の中って実にクソで不平等だ。
僕は圧倒的に陰キャオタクだ。僕の学生時代を赤裸々に語ると恥しかない。
- 量産型大学生をバカにしていた。チェスターコートとMA-1とウェリントン眼鏡は意地でも買わなかった。(シャツもオレンジとか買って通ぶってた)
- 俳優や女優の名前が出てこない。イケメンと言われて出てくるのが、いまだに松田翔太か水嶋ヒロ。お笑いもわからん。ガッキーかわいい。
- 話題の映画?ドラマ?なにそれ(トリックとかリーガルハイとか、気難しめなのは多少観てたような)
- アニオタとしても中途半端。集中力がないので途中でうっかり追いかけるの忘れたりする。(18歳すぎて完走できたのはまどマギとユーフォぐらい)
- 3年付き合っていた彼女と大学1年目の終わりに別れた。とても引きずった。あと卒業まで彼女いなかった。
- なんか童貞だと思われていた。否定したら大げさに驚かれるか、裏切り者扱いされた。
- 誉め言葉は決まって「やさしい」
- 好きな食べ物はラーメン。おひとり様が許されるから。
- オーケストラ部掛け持ちしてたけど、スケジュール管理と早起きが出来ず、金も足りないので途中でやめた。
- ジャズミュージシャンとしてプロを目指していた。でも、ジャズ始めて5年以上は経っているのに、3年目ぐらいの人に技術でも収入でも負けた。
- 就活では売り手市場だったのに、50社エントリーして最後の1社だけ受かった。
- 英語を勉強しても、渋谷のバーで外国人と打ち解けられない。TOEICスコア300点ぐらいの人より。
そろそろつらくなってきたのでこの辺にしとこう。
まあ、とどのつまりド陰キャである。しかも、とがった才能なんて何もない。
アメリカ映画やなろう系小説みたいな、パッとしなかったヤツがある日周りを見返すなんて展開もとくにない。
僕からすると、「元運動部で頭よくてハキハキしゃべる」ような陽キャ人間がとても羨ましく思える。
自己啓発本読んだり筋トレしたり喋りの練習したりして、必死に追いつこうと思っても、持ってる素材も違えば、経験の量も違うので、一朝一夕ではとうてい無理だ。
そもそも、本に書いてあったようなことを会話で実践しようにも、他の人が反射神経でできていることを、いちいち考えなければいけないので、タイミングを逃し試行回数すら稼げない。
そんな僕にとって、今死なないで生きていられる理由は何だろう。
大きく分けて以下の5つだ。
- こじらせを楽しむ
- プライドを捨てる
- 過去の失敗は開き直る
- たまには下を見て安心する
- やってみて続かなくても気にしない
一つずつ説明していこう。
こじらせを楽しむ
美術を語る。心の闇を語る。政治を語る。クラシックを聴く。洋楽を聴く。コーヒーやお茶に凝る。バーでラフロイグを頼む。
こういうのを唐突に始めるのを、世間では「中二病」とか「こじらせ」と呼ぶ。
なんていうか、こんな風に言われると、いい大人が今更やり始めちゃいけないんだという気がしてくる。
別にいいじゃん、「中二病こじらせ」で。
その時の勢いでカジったり通ぶったりすることに、ちょっとした痛々しさって確かにある。
でも、実際に経験することでいままで知らなかった世界に出会える。
もしそれが自分に合うものだったら、人生の楽しみが一つぐらい増える。
世の中の「普通のもの」がつまらなく思えてしまう副作用はあるかもしれないが、
そういう人はもともと「普通のもの」をあんまり面白いと思ってないので関係ない。
僕ぐらいこじらせると、なんだかんだ「こじらせで良かった」と思えるようになる。
プライドを捨てる
人間、プライドというものがある。
たとえば、他人に媚を売ることや、さほど好きでもないジャンルに手を出すことで、人として何かを失った気持ちになるのがそれだ。
異性にアプローチするのも、「キモイ奴だと思われたくない」「相手に不快感を与えたくない」と避けてしまう。
あと、「あいつ意識高いな(笑)」「できもしない目標(笑)」「英語ネイティヴの真似(笑)」みたいな俗っぽい冷笑もそうだ。
なんていうか、生きていると「泥臭いムーブや背伸びは恥ずかしくて無益だ」とそこら中で刷り込まれてしまう。
はっきり言う。そんなのは恵まれた奴か、せいぜい平均点以上の奴らがその地位を守るためのものだ。
凡人未満の僕らがそんなこと気にしたら、機会損失するだけだ。
何もないんだから、うっかり余計なことをしたとしても、どうせ失うものなんて無いに等しい。
僕は、大学進学はまわり道して人より遅れたし、就活も苦戦しまくりだった。
そのたびに、「今更大学行ってもねえ(笑)」だとか、「今までのツケだよ。潔く正社員は諦めたら」と言われた。
だけど、これらのイベントは人生を左右すると明確だったので、水を差されようが耳を貸さずに、ゴキブリのようにしぶとくやってきた。
これは今だからはっきり言えるけど、間違いなく正しかったと思う。
過去の失敗は開き直る
人間、常に一貫性をもって生きることなんてできやしない。
むしろ、それに縛られることのほうが、いざ困ったときに軌道修正できず事態を悪化させてしまう。
日清・日露戦争で勝ってきた大日本帝国が、第二次世界大戦でボロボロだったのは、ある種の「一貫性」に縛られたことも要因だろう。
今のまま突き進んでも良いことはないなと感じたら、それまでの努力や時間を水泡に帰してでも、別の道に切り替えるのは悪いことじゃない。
たとえば、石原慎太郎元都知事は、芥川賞受賞作「太陽の季節」にて、陰茎で障子を突き破る描写など、過激な性表現をした。
多くの悪ガキを刺激し世間に叩かれたが、近年は表現規制派に転じた。
糸井重里は、学生時代には中核派といわれる新左翼過激派団体に所属し、暴動にまでエスカレートした佐世保でのエンプラ騒動事件にも加わっていたが、
最近では以下のように「穏やかさ」を重要視するツイートをしている。
ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) April 25, 2011
もちろんこうした態度には賛否はあるものの、長い人生で何度か考えが変わるのは仕方のないことだ。
最初から正解がわかってまっすぐ突き進めるならともかく、普通はできない。
戦略的撤退だと開き直ることは、生きる苦しみを減らすコツだと知った。
たまには下を見て安心する
なんて嫌な奴なんだと思うかもしれない。
実際嫌な奴だろう。
だけど、自分が世界で一番下の人間だと確信して正気でいられる人間なんていない。
それができる人は「正気度で世界トップクラス」なんじゃないかとさえ思う。
何かをやってて、上ばかり見ててつらくなったら下を見る。
下を見るのもしんどければ、過去の自分を振り返ってみよう。
たとえ体力などで力が落ちていても、今のほうが分かってることもいっぱいあるはずだ。
長期的に見ておおむね前に進んでいれば、それはそれなりに成長している証拠だと思う。
そうじゃなくても、別の何かを得たということにしよう。
やってみて続かなくても気にしない
最後はこれ。
僕は典型的な三日坊主で、わりといろんなことに手を出してはやめる。
積読の多さでは割とイイセン行ってると思う。
あと、昔作りかけたプラモデルを、埃被ったころに処分するなんてのもあった。
音楽でさえ続けてはいるけど、オーケストラはやったりやらなかったりだし、教本もやり通せたためしがない。
勉強だってそうだ。最後までやり通せた参考書は片手で数えられる程度だし、意志力で取れた資格は応用情報技術者だけだ。(あとは、大学卒業がやばかった時に取得した単位認定対象の資格だけ)
はっきり言って物事への取り組み方は気まぐれそのものだ。
とはいえ、始めなければ続くかどうかも分からないし、続かなくても途中まではやっているのだ。
そのうち、一回挫折したけど再開したくなるみたいなこともあった。
思い描いたゴールにはたどり着けなくても、案外イイセンまで行けることはある。
結果はどうあれ、いろんなことに手を出してみてよかったと思う。
自分は運には多少恵まれている部分があったと思うし、人それぞれな部分はやっぱりある。全員には当てはまらないが、参考になる部分があれば光栄だ。